肘頭骨折コツコツ日記

肘頭骨折してからボルトを抜くまでの227日。毎日コツコツ更新しました。

肘頭骨折 術後195日目 あの日のこと

 あの日のことと言えば、自転車で転倒して骨折した昨年の8月26日ですが・・・ 今日は、別のあの日について書きます。そう、2011年3月11日について。

 

 あの日のあの時、私は勤務先の小学校にいました。持ち場の図書室には子どもはいなくて、一人です。

 カタカタカタカタ カタカタカタカタ カタカタカタカタ ふと、先ほどから小刻みに、教室と廊下を仕切る壁の上のガラスが小さな音を立て続けていることに気が付きました。何だろう? 自衛隊のヘリコプターかな? (我が家は自衛隊のヘリのコースの下ですが、この職場は全然関係ありません。なにか勘違いしていたようですね。)

 何か変だなと気が付いた瞬間、カタカタがガタガタガタガタになり、続いてガタガタガタガタ!!!!になりました。えっっ、なに?

 それから洗濯機の中にいるような尋常でない揺れ。地震だ!!

 怖くなって図書室を飛び出し廊下に出ました。同じフロアに5年生の教室があるのですが、シーンとしています。見れば子どもたちはみな、机の下にもぐり、押し黙っていて、私は自分の慌てぶりが恥かしくなりました。廊下は立っていられないくらい揺れています。まるで船の中にいるみたい。それでも怖くて、階段を下りていきますと、酔っ払いのように、あっちふらふら、こっちふらふら。なかなか降りることができません。

 なんでこんなに慌てたかと言うと、少し前にニュージーランド地震があって、日本人の留学生が通っていた語学学校のビルが一瞬のうちに崩れ落ちたというニュースを見ていたからです。それから、中国の四川省地震でも、小学校が倒壊して子どもたちがたくさん亡くなったというニュースも頭の隅にありました。職場の学校も、築40年は超えています。倒壊したらどうしようと思ったんですね。

 

 さて、揺れが収まって子どもたちが校庭に避難するのと一緒に、私も校庭に出ました。「ああ、これは東京大地震だな」と思いました。東京が大変なことになっていると、ニュースになるに違いないと。

 校舎の中に戻って、職員室のテレビを見てびっくり。え、東北の大地震なの?

 「どうしよう? うちがなくなっているかも。」

 ショッキングな映像を見て、悲痛な声をあげたのは、仙台出身のSさんです。(なかなか連絡がつかなかったけれど、家もご家族も無事でした。)

 そういえば、慌てて飛び出してしまったけれど、図書室の中は、ぐちゃぐちゃになっているのだろうか? 我に返り、戻って確認しますと、本が10冊ほどと、本棚の上の表示が2~3個、落下していた程度でした。体で感じたほどは揺れていなかったのかもしれません。

 そうこうしているうちに、2度目の大きな揺れが来ました。さっき学習したはずなのに、また慌てて階段へ。当然、あっちふらふら、こっちふらふら。「校舎の中にいても危険かもしれないから、急を要する仕事がないなら帰った方がいい。」といっていただき、帰宅の途につきました。

 

 今だったら、わかります。日本の小学校の鉄筋コンクリートの建物はめったに倒壊しません。絶対とは言えないけれど、高確率で安全。だから慌てて外へ出ようとするのではなく、その場で頭を守った方がいい。5年生の子どもたちが正解です。だめでしたね、私は。

 それから、あの揺れ方は、震源地が遠いです。震源が近かったら、いきなりドカンときます。カタカタカタカタの予告はありません。それがわかっていれば、あんなに慌てなかったものを。あの後、東北で余震があったり、関東が震源地震があったり、立て続けに強めの地震がありましたが、「あ、これは遠いな。」とか、「近い」とかわかるようになりました。

 

 でもね、経験したことがないことは、怖いのです。あの地震は、そのあとの原発の事故による放射性物質の不安が、むしろずーんと気持ちに響きました。計画停電で街は暗くなるし、水も乾電池もガスボンベもないし。ナイナイ尽くし。今回のコロナ感染も、少しこれに似た雰囲気がありますね。きっと、今まで経験したことがないことだからでしょう。不安な気持ちを抱えながらも、冷静さをどこかに持っていたいものです」。そして社会不安が少しでも払拭されますようにと願う日々です。

 

 最後に、東日本大震災から9年。震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りしますとともに、被災された方々に思いを寄せて、今日のブログは閉じさせていただきます。

 

 今日もお訪ねくださり、ありがとうございました。